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2013年9月17日火曜日

611:【戯れ言】選別するということ......の巻

前回、前々回と、ワザとらしく抽象的な表現で何となくボヤ〜っとした感じにカモフラージュしてみたんだが、あまりにも具体性に欠けていたみたいなので、今回はストレートに、直球一本で勝負に出てみようと思う。

気分はまさに、アジア新記録を打ち立てた希代のホームランバッターを相手にする、火消し役なんだか火付け役なんだかわからない二流半にもなりきれない敗戦処理投手の心境なんだがね。

そもそも、文章として書くことでフラストレーションが少しは解消されるんじゃないかと勝手に予想していたんだが、考え過ぎて余計にフラストレーションが溜まるという罠に自ら陥ったみたいだ。

『墓穴を掘る』とはまさにこの事、元の木阿弥を地で行くアンポンタンの言うことだから、そんなに真剣に捉えられて貰わなくともいいんだがね。

来た球は思いっきり打ち返すか、ビーンボール紛いは避けていただいていっこうに構わないので。

ここは一つ、ストライクゾーンに入るかどうか解らないが、少しずつ本音を晒して、ゆる〜く行きたいと、そんな感じで書き下ろさせていただくことにする。


難解な表現を多用し過ぎたせいか、「いったい何のことを言ってるんだか解らない、理解に苦しむよ!」とお思いの方々も多いことかと。

そりゃそうだ。思わず最後に注釈を入れなきゃならんほどだったし。

前々回の「何が正しいのか?」について語った際には特定の個人を想定して書いたワケではないとの注釈をいれさせていただいた。

真☆煩悩の赴くままに: 609:【戯れ言】正しさの判断基準とは?の巻

そして、前回については、まるで新たな宗教か?と思しき表現が多くなりすぎてしまったと反省している。

真☆煩悩の赴くままに: 610:【戯れ言】盲目的に他人を信じるなんてのは愚かな行為だと思わないか?

そもそもボカす手間がこちら側の対策としては必要だったということであるのだが、率直に言うと、いずれの場合も言いたかったことは共通していて、世の中にあふれる情報を発信する人々とそれを読む受け手側の方々、双方に生じている奇妙な現象への警告のつもりで書いた。

そんなのは余計なお世話も甚だしいのだか、ブロガーとしてのボク個人と、他の人のブログやらネットに蔓延る多種多様な情報を貪る読者としてのボク個人に共通するとある疑問がここ最近どうしても頭から離れないからだ。


まずは自己弁護的な言い訳から始めるところがどうにもこうにも卑怯な感じがするのだが、ボクのブロガーとしての立ち位置(最近自らを『ブロガー』と称する事にどうしようもない恥ずかしさを感じているのだが、その話はまた後日)を明確にしておかないと、これから論じる話もブレてしまいそうなので、ご容赦いただきたい。

ボク自身も間違ったことは書きたくないし、誤った情報をお伝えする事がないようにしたい、と常々思って細心の注意を払って細々とここで活動している。

ごくたまに、明らかに間違った話を面白おかしく展開し笑いを誘う意図をもって書くおふざけなエントリーもある。よくTwitterでも戯けてみせたりするアレのことなんだが、あれは書いてるコチラとそれを読むソチラで笑いを共有できればという意図以外はなく、あなた方の洞察力を試す意図もなければ、世に誤った情報を垂れ流して混乱を来す意図などもない(ついでに言うと、そんな戯れ言にまんまと騙される輩もいない)。

ましてや、このブログから放つ情報で人を意図的にある方向に誘導してやろうなどという下衆な魂胆はこれっぽっちも持ち合わせちゃいない。

ボクがボクの体験に基づくボクなりの情報をまるで日記のように纏めているのは、通勤時間の暇潰しの片手間でやっている以外の意図はなく、「後から自分で見返した時にクスッと笑えりゃイイか!」という気楽な気持ちで書いているということは何度もここで披露してきた。

それを見たボク以外の他人がどう思おうがどう感じようが、それは読み手側の問題で、こちらが提示した内容を受け入れるも受け入れないも「ご自由にどうぞ、ただし自己責任でお願いします」と思っている。

心の中の淀んだ澱を吐き出すことにより、勝手にストレス解消してるんだから、「そんなあられもない内容を読まされた方は堪ったもんじゃない!」という考え方もあることは認めざるを得ないが、「それならワザワザ読まなきゃイイじゃん!」とも思っている。

さして面白くもない内容を恥ずかしげもなくご披露している己の厚顔無恥と戦いつつ、それを気にする素振りすら見せまいとただひたすら「まぁこんなんでも何かの役に立つらしいし......」という思いだけで続けて早3年半も経つのだから、ボクも随分と神経が図太いらしいということだけが新たな発見で、ブログを書いていてそれ以外に大して得られたものなどない(金銭的なものも能力的なものも)のが現実なのだよ、ホントに。

あるのは他にやりたい事を諦めて費やしたブログ執筆時間という機会損失だけ。それが正しい選択だったのか間違っていたのかは、ボクにすら判らない。

もちろん「ボクには思い描いた主義主張があって、それを広く世間に問い糾し、この腐った世の中を変えてやるんだっ!」なんてこたぁ微塵もなくて、これまではお気楽に問題提起などせぬまま現在に至っているワケなのだが、「そんなテロリズムみたいな空恐ろしいことを平気でやってのける神経の方がより更に図太いのだろうなぁ」と横目で見つつ、特にその行為について言及も糾弾もせずに来た、というワケだ。

今回はようやく重い腰を上げて、その点に関して述べてみたくなった、というのがそもそものキッカケになるのである。

言い訳はここまでにしておこう。


ということで、ここからが本題。

世の中には何の意図をもってしてか、やたらと「これはこうである!」と恥ずかしげもなく断言する輩が存在しているのをあなたたちは知ってるか?

まぁ知ってるよな。

今どき中学生でもスマフォを片手に情報収集も発信もできる時代なのだから、大の大人がその真意が怪しい情報に右往左往する姿なんてのはあまりにも見苦しいのであまり目にしたくないものだ。

少なくともボクの周りの大人たちにはそうならない事を願ってやまないんだが、それでも藁にも縋る思いで様々なHow toやらLife Hack記事を鵜呑みにして、まるで似合わない貸衣装を身に纏った、サーカスか喜劇にでも出て来そうな道化師のような輩も結構な数存在する事を知っている。

たぶん本人はいたって真面目なんだが、Hotdog PressかPopeyeに載ってる洋服をそのまま買って着こなしたつもりでいる古き中高生そのままで大人になってしまった感があり、「おいおい、そろそろ他人のお仕着せじゃなくて、オリジナリティ溢れる存在になってみせようや!」と余計なお世話もしたくなるこの気持ち、解っていただけるだろうか?「いやいやいや、それはあなた、誰しもが簡単に出来る事であって、何でもかんでもやればイイってのは、ちと違うのでは......」ってな感じ。

そういう輩に限って、「これが今最新のスタンダードだっ!」と鼻息荒く興奮気味にまくしたてるのだが、そもそも「自分自身が標準的な立ち位置にいるのか?」とか「それは自分にも当てはまることなのか?」って疑問は露とも感じていないらしい。

そんな痛いところを突くと途端に過剰な拒絶反応を起こすのもその特徴の一つ。己の主張を否定されると、まるで存在意義を否定されたが如く、躍起になって全力で己の主義主張の正しさをアピールし、さも世間が肯定的に判断しているという虚栄を見せびらかす行動(筋が通らなくともアレやコレやと言い訳を並べ立てること)に移りがち。

特に、ある程度の歳を取り、それなりに経験を積んだと自負する自己の能力を過信気味な頑固者にその傾向が強くあるように感じているのは、ボクだけではあるまい。

そんな時は心の中でそっと「あぁはなりたくない」と呟き、反面教師として活かすというライフハックを実践することをオススメしておこう。

リアルに口に出すとややこしい事態に巻き込まれること必至なので、その点だけは注意していただきたい。


そういう受け手側の勘違い甚だしい輩が少なからず存在する事はどうしょうもなく、こちらとしても面倒臭いので手の施しようがないと思うしかないのだが、日々発信される数多の情報を受ける立場に立った時にそうならないために、ある程度の共感を抱いたとしてもその全てを鵜呑みにしない習慣をつけておきたいものだ、と常々考えている。

タイトルを見て「こいつは有難いっ!」と中身を拝見すると、たいていは大した事のない内容だったり、「そんなこたぁ昔から言われてる事じゃん!」と無駄に浪費した時間を返してもらいたくなったり、そもそも前提からしてあり得ない話だったりするから、始末に困る。

何度でも言うが、世の中に溢れる数多の情報から自分に必要と思われる情報を選別する作業は必須だし、その中身を逐一確認して更に要不要の判断を自ら下す地道な作業も必須

そうしないとブックマークは溢れかえるし、スターだらけの世の中になるし、RSSで全てをチェックする事だけが人生になりかねないし、Evernoteは中味がグチャグチャになってしまうし、Instapaperは、Pocketは、Readabilityは、Dropboxは......。

つまりはよく言われるように「情報に踊らされる」事態に陥らないよう気をつけねば、ということそのもの。

権威あるどなたかが曰った「これこそ王道である」という話であったとしても、疑心暗鬼になって一度は疑う姿勢を己に課さなければ、ただ単に濁流に飲まれて知らぬ間に下流へと押し流されることになりかねない。

「それはホントに正しいのか?」「それはホントに必要なのか?」という疑問を持たずして、自分という個を磨き輝かせることなどできやしないんじゃないか?

自ら判断する事を放棄して、楽かもしれないが流されるだけがあなたの人生なのか?

あなたは他人のコピーで満足するのか?


なんだかまた難解な方向へと話が進みそうで、これっぽっちも具体性を持った話が出来てないことに薄々気がついているのだが、ここから先はまだまだ長くなりそうなので、今回はこの辺でお開き。

次回こそ具体例を挙げて話を展開させたいと、ボクも思っていることだけは解って欲しい。

(つづく)

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