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2014年1月23日木曜日

693:【考察】まだ熱があるのに会社へと出向くボクは社畜なのだろうか?と考えてみたらどうも違った......の巻

毎度どうも、さいたまの孤高のωブロガーこと、ひろさの(@Hirosano)です。

昨日一日休暇を取って家で爆睡こいてたにも関わらず、熱は37℃半ばを下回ることなく、本日の朝を迎えてしまいました。

ボクの目論見では、医者に処方された薬を飲んで、寝ながら汗をたっぷりとかいて、水分補給にポカリスウェットを2リットルくらいグビグビ飲んでいれば熱くらい下がるだろうと思っていたのですが、どうもその考えからして甘かったようです。

んで、熱がまだ下がらないので今日も一日家でゆっくり過ごせばイイんでしょうが、たまたま外せない重要な会議が2件ほどありましてね。それにボクが押印しないと業務が滞る書類もたんまりと溜まっているだろうことを鑑み、あまりフラつかないこともあって、多少の無理は承知で出社することにしました。

まさに「社畜道、ここに極まれり!」といった感いっぱいで会社に向かっておったのですが、よくよく考えてみたら、別に会社や上司に言われて出社することにしたわけじゃないし、成績や出世を気にして無理してるワケでもないということで、ボクは別に社畜ではないんじゃないか?ということを改めて考えてみようと思った次第です。


たまたま今朝、Gunosyでこんなブログを拝見しまして、

仕事の報酬は仕事でいいと思っている。 - GOLOG
同じく社畜に関して考察するブログを拝見しました。

ボクは仕事の報酬は仕事よりもお金がイイなぁと思ってるので、この方の考えと微妙に違うかと思っていたんですが、仕事の報酬を次のステージでの仕事と捉えれば、きっと多少は報酬アップにも繋がるし(難易度なども一緒にアップしちゃうけど)、それはそれでアリかな?と思わなくもありません。

そこのところの捉え方のニュアンスに微妙な違いはあるものの、少なくともこの方がWikiで調べた社畜の定義ってヤツがボクには当てはまらないということが判りました。

主に日本で、勤めている会社に飼い慣らされてしまい自分の意思と良心を放棄し奴隷(家畜)と化したサラリーマンの状態を揶揄したものである。

ボクが体調不良であるにも関わらず会社へと向かうのは、ボクの意思によるものです。繰り返しになりますが、決して奴隷であるボクが王様(上司)に強要されたからではありません。ボクは周囲の環境に恵まれている方だと思うので、事前に上司に相談をすればきっと「無理しなくてイイから今日も休め」と言われるに違いありません。

きっと休もうと思えば休めたワケですよ、無理などせずに。

ただ、ボクを突き動かすものがあったから多少は無理をしてでも出社しようと思ったワケです。それは愛社精神とも違うもので、どちらかというともっと小さな他愛もない動機なのです。


サラリーマンであれば、その大小の差はあれ、何らかの組織に属しているかと思います。社内の中で個人商店のような仕事をしている方もいらっしゃるかもしれませんが、それでも自分以外の人や団体と何らかの関わりがある環境に身を置く方がほとんどだと思います。

ボクの場合、それほど大きくはないですが、一応とある組織の長を任されておりまして、さらに業務委託先として複数の会社とのお付き合いがあります。

ボクの仕事のほとんどがマネジメントなので、たいていの業務はボク抜きでも進める事が出来ます。特に突発的に1日や数日休もうとも、それほど業務の進行には影響がありません。全て部下たちが滞りなく無難に差配してくれるでしょうから。

というのも、方向性とか到達点・着地点みたいなものは予め指し示してありますからね。後はそれが決められたスケジュール通りに進行しているかどうかの進捗管理を定期的に実行したり、途中途中で突如浮上してくる大小様々な問題点を潰して行くのが主な役割になりますから。

あまり詳しい内容は企業機密なので書けないんですが、業務内容はそれなりに社内では影響の大きいものになってまして、上手く回って当たり前、何か問題があって滞ろうもんなら色んな方々にご迷惑をお掛けするシビアな内容になっております。それなりにプレッシャーのある厳しい立場に置かれてるってな感じと捉えて下さい。その業務の属するジャンルは誰にでも出来るような仕事でもない専門的な位置付けでもあるため、ボクが潰れたらその代替がすぐに見つかるというワケでもなく、それなりの責任とそれに見合うだけの報酬のバランスが取れているんじゃないかと考えています。

今回の体調不良を押してまで出社するというボク自身の決断は、誰かから強要されたものでもなく、かといって自分自身の出世や業務成績への影響を慮ってというものでもありません。

たまたま予め設定されていた今日の会議で、他の誰でもないボク自身が決断しなければならない場面が予定されており、その決定如何によっては多くの人に影響が出ることを知っているので、多少の無理は承知で会社へと向かうのです。

「会社のため」とか「上司にアピールするため」とかではありません。

一緒に仕事をしている仲間(部下やら業務委託先の連中)がこれまで取り組んできた業務があり、それを更なる次のステップへと導かんとする重要な分岐点があるから出社するのであって、ひとえに個人的な都合でその仲間たちに迷惑を掛けられないという一心がボクを会社へと向かわせるのです。もちろんボク自身の意思で。


恐らく、その予定が多少ズレてもプロジェクトにはそれほど大きな支障は出ないと思います。ボクの考え過ぎ、もしくは自身の役割を過剰に高尚なものと捉え過ぎな、一種のナルシスティックなものかもしれません。

また、格好良く「一緒に仕事をしている仲間たちのため」などと恥ずかしげもなく抜かしてやがりますが、これもブーメラン的にはいずれ自分への周囲の評価に少なからず反映されるであろうことも考えなくはないです。

なので、結局のところ、やっぱり自分のために無理してまで出社してるんじゃないか?と疑問を突きつけられたら、反論の余地はないかもしれませんね。

まぁでも、今日は無理してでも出社して良かったと思ってます。

気になってた案件の進捗も確認出来ましたし、遅れ気味な案件のフォローも出来ました。そのために出社したと言っても過言ではない会議についても、手続き的・儀式的な通過点ではあるものの、細かい点での確認や指摘を行えたので、少しは周囲の仲間の役に立てたのではないかと思います。

また、せっかく熱が下がらないまま無理して調子の悪い中でも出社したことで、周囲の仲間たちに「体調不良なのに仕事のために粉骨砕身して頑張ろうとしているボク」を余すことなくアピール出来ました。それを見てどう感じるかは人それぞれだとは思いますが、部下や後輩の一人でも何かを感じてくれたなら、心の琴線に触れる機会になっていればいいなぁと。ボク自身が自己満足であってもそう思えたので、それはそれでヨシとしたいと思います。

きっと、組織に属して何らかの役割を担っている方には、全員ではないにせよ、ボクのこの感覚を少しは理解していただけるんではないかと思います。

もしかして、そういう自己満足に浸るところまで計算して会社が神の見えざる手であるが如く全てをコントロールしているのだとしたら、それはもう見事としか言いようがないですね。それこそが社畜の社畜たる所以であるならば、ボクは別に社畜でも奴隷でも下僕でも、もう何でもいいですわ......。

でも、まさかそこまで手の込んだ陰謀を会社が仕組んでるとも思えないし、それに気づかないほど会社に飼い慣らされちゃってるとも思えないし、別にボクは社畜ってワケではないと思うんだけどなぁ......。

そこんところ、どうなんでしょうかね?

......あ、また熱がぶり返してきてよくわからなくなってきたので、帰って飯食って、とっとと寝ますっ!

ってなことで、今回はここまでっ!

(おわり)

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